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マンガ『戦争は女の顔をしていない』1巻のあらすじと見どころを紹介

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色んな人に布教したいマンガ『戦争は女の顔をしていない』についてあらすじと見どころを書いていこうと思う。

本作は独ソ戦争を戦い抜いた女性たちの実際の記録を書いた小説を原作に漫画化されたものである。男性に焦点を当てた作品では見ることのできない、女性から見た戦争を生々しく描いている作品となっている。

 

あらすじ

第二次世界大戦において、ソ連は100万人を超える女性が従軍した。しかし、戦争に参加した女性たちは世間から白い目で見られたために、戦争で体験したことを話すのは憚れていた。

そんなか、ジャーナリストの女性・スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチは従軍した女性たちから戦争体験についてインタビューしていく。スヴェトラーナによって明らかにされていく女性たちの戦争の真実とは、どのようなものなのか。

見どころ

生々しい人間模様

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出典『戦争は女の顔をしていない』原作:スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ/作画:小梅けいと/監修:速水螺施人・KADOKAWA

本作は戦争に参加した様々な女性の証言を元に書かれているため、どこを切り取っても生々しさを感じる。

たとえば、女性だけで構成されている洗濯部隊にいた女性・ワーリャは、その部隊を率いる政治部長代理・ワレンチーナが出張中の間にほか部隊の大尉の男性に言い寄られて最終的に妊娠してしまう。

事情を聞いたワレンチーナがワーリャを問い詰める、ワーリャはワレンチーナが出張にいかなければこんなことにならなかったという言葉を言う。一見すると責任転嫁に思えてしまう言葉である。しかし、当時の女性の地位は低いうえに相手は上官であることを考えれば、言い寄られて逆らえる力があるわけもない。事実、大尉に言い寄られているワーリャの顔は無表情となっている。

女性たちの中でも地位があり、かつ女性たちを娘のように可愛がっていた ならば彼女を守れたかもしれない。

こういった時代背景を思いながら読んでみると台詞の奥にある意味を考えて、彼女たちの思いを理解できるようになる。

女性ならではの問題の描写

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出典『戦争は女の顔をしていない』原作:スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ/作画:小梅けいと/監修:速水螺施人・KADOKAWA

年若く、健康な女性に必ず訪れるものといえば、生理である。普通であったら生理が来たときは生理用品を使ったり汚れたとき用に換えの下着などが必要となる。

しかし、軍に所属する女性たちにはそんなもの支給されない。なんだったら下着だって男性物を着用していたという。女性が軍に入り、前線へ出て戦うことを想定していないことを思えば、支給品に生理用品がないのは軍としては当然のことなのだろう。だが、同じ女性として見ていて大変痛ましかった。

ときに柔らかい草で経血を拭い、拭えないときは垂れ流しながら行軍したという。ズボンから滴った血が地面を濡らしていたという描写は衝撃的だ。ズボンに付いた経血が固まって足を傷つけるなんて、想像もしたことがなかった。

自ら志願したとはいえ、このような事態はきっと志願した女性たちも想定していなかったのだろう。美化されていない等身大の女性たちの悩み、苦しみは男女ともに読んで衝撃を受けるのではないだろうか。

こういった女性ならではの問題に注目してもらいたい。

銃を持つことだけが戦いではない

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出典『戦争は女の顔をしていない』原作:スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ/作画:小梅けいと/監修:速水螺施人・KADOKAWA

戦争で戦うといえば前線で銃を持っている姿を思い浮かべるだろう。もちろん、想像の通り前線で銃を持って戦った女性たちもいるが、本作には違う形で戦っていた方々もいる。

例えば、ソ連で唯一の女性機関士のマリヤは最初は子供とともに疎開していたが、国を守るために戦うことを決める。同じく機関士をしていた夫と共に特別輸送隊の機関士をする。当然、戦線に物資を運んだりする機関車は敵から激しく襲われる。子供が乗っている車両を攻撃されてしまうこともあるが、それでも彼女は必死に任を全うする。マリヤが最後に語る機関車への思いや家族についての話は必読である。

銃を持つだけが戦争で戦うことではないことを教えてくれる話となっている。

女性たちの心は戦争に囚われている

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出典『戦争は女の顔をしていない』原作:スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ/作画:小梅けいと/監修:速水螺施人・KADOKAWA

戦争で前線を経験した女性たちは、たとえ戦争が終わり家へ帰ってこようとも、その心は戦争に囚われたままである。狙撃兵をしていた女性・クラーヴァは終戦後に母の待つ自宅へと帰ったが、自宅付近にある採掘場から鳴る発破の音を襲撃の音と勘違いして、取り乱してしまうことがあったという。いわゆるPTSDになってしまったのだ。クラーヴァは戦争の最中に銃声の聞こえる土豪の中で「死にたくない」と必死に願っていたという。このような激しいストレス化でまともいられるわけがなく、その強い願いは生きて帰ったあとも尾を引いたのだろう。

クラーヴァの語る体の痛みと心の痛みについての話は、胸に刺さるものとなっている。

まとめ

戦争を題材にした作品は「戦争を肯定している」と誤解されがちであるが、多くの作品は戦争に肯定的はない。『戦争は女の顔をしていない』もそうである。どの女性たちも戦争によって大きなものを失い、深いトラウマを負っている。そんな女性たちが戦争に肯定的であるはずがない。

そもそも、戦争ものを読んで「戦争しよう!」なんて思うやつがいるはずもない。そこに描かれている凄惨な死に様、吹き飛ぶ血肉、大事な人を亡くすといったシーンを見て「戦争大好き!」なんて言っているやつはどこかの世界一かっこいいデブの少佐だけである。

私はむしろ読んだことでより反戦の意識が高まった。こんな凄惨なことが繰り返されていいわけが無いからである。国のために、大事な人のために立ち上がった人たちが非難されることもあってはならない。

『戦争は女の顔をしていない』は可愛くて人を選びにくい絵柄なので、色んな人に読んでほしい作品である。原作小説も読み応えがあるので、マンガの次に読んでみるのもオススメしたい。